GREENFIELD (INDIANA)

これが最後だっ!1番楽しかった GREENFIELD での生活。






INDIANA について


GREENFIELD (INDIANA)


出会えてよかった!最高のホストファミリーとの生活


一躍有名人になった学校生活


とうとう来てしまった別れの日




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インディアナの時刻と気温













INDIANA

インディアナ州





<成り立ち>
アメリカ合衆国で19番目の州(1816年12月11日)

<州名の由来>
ラテン語で「インディアンの地」の意味。1800年に合衆国議会がオハイオ州を、北西領土から独立させた際、
残る領土を「インディアナ領」と呼んだことに由来。

<愛称>
Hoosier(フージャー:生真面目な働き者、無骨者)語源には30以上の説がある。
開拓時代にドアのノックに対し「Who's yere?」と応えた習慣から。
LouisvilleのPortland Canal を建設する際に、Samuel Hoosier という人足頭の元に労働者が集まったことから。
などなど・・・。

<標語>
The Crossroads of America(アメリカの十字路) 1937年〜
理由は当時、最も人口が多かったかららしい。水陸空の交通網が整備されている。
東部の人々はセントルイスや西部を、南部の人々は北部のシカゴやミシガンを目指した。
実際、開拓者が旅した「Old National Road」はインディアナ州を横断している。
↑現在の U.S.40(Greenfield の家から100mのところ!)
この標語は、ナンバープレートにも入っている。
全米最大手の運送会社の5社が、ここに本社を置くほどである。全ての道はインディアナに通じる。

<州都>
州都は Indianapolis(インディアナポリス)で、あの有名なインディ500の開催地である。
この世界最大のカーレースはアメリカ3大イベントの1つ。
5月になると世界中からファンが押し寄せてくる。

<交通>
・ハイウェイ
インディアナ州には、最も多い7本の州際ハイウェイがある(1137マイル=1825km)。
うち、5本が東西、2本が南北に走っていて、太平洋〜大西洋、さらには、カナダ〜メキシコ湾まで結んでいる。
ワシントンD.C.をモデルにした、4本のハイウェイが、インディアナポリスから放射状に延び、
2日〜3日で国内のどんな目的地でも到着することができる。
全米の人口の65%が625マイル(約1000km=車で1日)以内に住んでいる。

・空港
航空輸送で全米7位。680もの空港施設があり、そのうち最大のものは、インディアナポリス国際空港。
1日旅客機200便、貨物専用機50便が離発着している。

・鉄道
アメリカで最も鉄道が集中している。
五大湖及びオハイオ州の港、ミシシッピ川や東海岸の深喫水の港にも接続している。

・長距離バス
シカゴ、シンシナティ、セントルイスへ向かうなら、飛行機より安く速い。(24時間営業)

・国際湾岸施設
インディアナの3つの湾岸施設が世界市場に直結している。
全米人口の40%以上が在住する22州を結ぶ「米国内水路システム」に一年中アクセスできる。

<州民性>
勤勉で堅実。愛称が示すとおり素朴・・・・なはずだが、俺はそうは思わん!人間中身はほぼ同じ!

<人口>
5,942,901人←毎日変わってるけどね・・・。(全米14位)
州都インディアナポリス・・・810,946人
人口密度は 59人/1平方キロメートル

<面積>
94,328平方km(全米38位、南北440km、東西230km)これは、日本の約1/4強。
都市と農村の人口比は、64%:36%。

<産業>
自動車製造、鉄鋼業などの工業、大豆、トウモロコシなどの農業のバランスがとれている。
インディアナポリスの再開発の目玉は鉄道ターミナル。
シカゴ、ゲイリーなどの町からの輸送の中継地点だった、ユニオン・ステーションは、車社会に変わってしまった。
今は、すっかり陰が薄くなり、町の景観を損ねるただの古い駅という存在だった。
1980年代、ちょうど再開発に燃えていたインディアナポリスではこの駅に目をつけた。
市民の集まる場所にしようという大計画を進めることにした。
古い駅舎と最新のショッピング・センターというミスマッチは大成功。
現在ではサンフランシスコのチョコレート工場跡にできたギラデリ・スクエアと肩を並べるほど。
再開発によって生まれ変わったショッピング・センターとして全米に名前を知られる存在になったのだ。

<気候>
湿潤性大陸気候に属し、明確な四季はあるものの、春と秋は短く、寒暖の差がとても大きい。
天気も変わりやすく、とても過ごしにくい。(最高−25度〜40度近くまで約65度の差がある。)

<時間>
インディアナ州は二つの時間帯に属す。
北西部と南西部の11郡は中央標準時に、それ以外の81郡は東部標準時に属している。
日本とはそれぞれ15時間・14時間の時差がある。(日本が正午ならば、インディアナ州の大半は夜の10時)
なお、夏時間は、ほとんどの地域で採用されていない。

<補足>
州都のインディアナポリスは働きたい・住みたい都市全米第2位。
インディアナポリスは全米で人口50万人以上の都市中6番目に犯罪発生率が低い。
Amish(アーミッシュ)の村がある。
アーミッシュとは電気・ガスなどを一切使わず、食料は自給自足の人々。
さらに移動は馬車、言葉は古いドイツ語と英語の混ざった言葉を話す。



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GREENFIELD (INDIANA)

グリーンフィールド インディアナ州





名前からして小さな町だと分かるだろう。

Greenfield つまり「緑の地」である。

州都 Indianapolis の隣町にしては小さすぎる町。

家から100m程の所を走る U.S.40 にはたくさんの車が行き来している。

ところがちょっと奥へ入ると車も通らない静かな町並みが続く。

それでも1番近い町まで車で10分程度なので不便はなかった。

アメリカでは、車で10分の距離はめちゃくちゃ近いと見なされる。

さらにこの小さな町は宮城県角田市の姉妹都市でもある。

角田市から中学生の団体が来ることがあった。

案内役を任された俺は日本の話題で盛り上がろうと期待しまくり。

ところが女の子のみの集団で話題が合わず期待は大きく外れてしまった。

さて、話を戻すとしましょう。

春になると畑に芽が出て緑の地へと化す Greenfield。

特に有名なものがないので説明が不十分で申し訳ない。

強いて言うならば「キャビット」が発見された町。

キャビットとは猫の体にウサギの後ろ足を持つ奇妙な動物。

1977年7月、後ろ足がまるでウサギそのもの、という猫が発見され「キャビット」と名付けられた。

そこからはチープなネーミングセンスが嫌というほど伺える。

だが、この種の猫は、一例だけに止まらない。

インディアナ州グリーンフィールドに住むマリアン・ピッチャーも、

自分の飼い猫が「キャビット」である事に気がつき、ウサギと猫の混合種であると信じて疑わなかった。

しかし、本当のところはいまだ分かっていない。

昔、翼の生えた「翼猫」が発見されたが、キャビットというのを聞いたのは初めてだった。

と、いうわけで Greenfield とは「キャビット」が発見された町である。

詳しくはインディアナについてへ。



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出会えてよかった!最高のホストファミリーとの生活





もう留学生を引き受けるつもりは無かったけど、俺と話をしてとても気に入ってくれた2人。

新しい家族のメンバーは Jim(ジム・host father) Phyllis(フィリス・host mother)

そして Martin(マーティン・host brother) Stephanie(ステファニー・host sister)

さらに俺に2頭のラブラドールレトリバーに2頭のダックスフンド。

そして何より驚いたのは庭。玄関前に広がる表の庭には日本の1軒家がラクラク入るほどひろい。

さらにリビングから外に広がる裏庭はもっともっと広い。

庭で野球ができるほど広い。何しろ、向こう側のフェンスが家から見えないのである。

隣の家は庭で趣味の射的をやっているほど広い庭がある。さすがはアメリカといった感じだ。

庭には食事ができるようにテーブルとイスがあり、バスケのゴールまである。

呆気に取られていると、「さぁ、おいで。こっちが玄関だ」と Jim(Dad)に促された。

車庫を通り抜けて裏玄関へ。すると車庫にBMWが・・・。 Phyllis(Mom)の車らしい。

3台も車があった。日本では家に1台なのに、アメリカでは、1人に1台という感じだ。

言われてみれば、今までのホストファミリーも1人1台車を持っていた。

「車が無ければどこにも行けないので、16才で免許を取ることができる。アメリカ社会に車は必需品なんだよ」

と、 Dad が教えてくれた。

ここで敢えて Dad Mom と書いたのにはワケがある。

1番目のホストファミリーはまるで奴隷のごとくこき使われ、家族とは程遠いものがあった。

2番目のホストファミリーは留学生を収入源としてしか見てないので、あくまでもお客様として扱われていた。

3番目のホストファミリーは当初予定していたファミリーが突然の失職。仕方なく CR の家にステイした。

でも今回のホストファミリーは違った。俺を家族の一員として扱ってくれたのだった。

自分の息子のように一緒に喜んで、笑って、時には叱ってくれた。何でも話せた。

最後の最後でようやく家族と呼べる家族に出会えたのである。だから俺はお父さん、お母さんと書くことにした。

ここでは本当の家族と過ごすように過ごせたし、お互いを本当の家族だと考えていたからである。

最後にして最高のファミリーに出会えることができた。

さてさて、家に入ってまたも度肝を抜かれた。豪華絢爛。見るもの全てがすごかった。

両腕を伸ばしても届かない大きなスクリーンのテレビに、2台のマッサージチェア、ガラスのテーブル、本物の暖炉・・・。

目に入るものすべてが驚きだった。2階へ上がるとそこには俺の部屋が。

ふかふかの絨毯張りの部屋にその半分を埋めてしまう大きなベッドに壁一面が鏡の部屋。

どこかのお城にいるような感覚だった。家にはお風呂やトイレがいくつもあった。

コンピューター専用の部屋まで・・・。その日は家を探索して回ったが驚きの連続だった。

今までの家とのギャップにビックリし、この家に馴染めるかと心配しつつも心は躍る。

新しいホストファミリーで特に気が合ったのは Mom であった。考え方や生き方に共感できた。

台所で立ち話している間に話しこんでしまい、朝になってしまうこともしばしばあった。

Dad は再婚した相手で、 Martin Stephanie の義理の父親にあたる。

さらに Stephanie は今も昔の夫と再婚した妻とオハイオ州で暮らしていることも教えてくれた。

Mom はもちろん Stephanie をここに住ませたいけど、前の夫が納得せず、裁判にまでなっているらしい。

俺がその家に着いた時は、ちょうど学校が休みで遊びに来ていた。

Mom はとても40代半ばには見えない。気持ちもテンションもとにかく若い。

腰に四葉のクローバーを口に銜えた鳥の大きなタトゥー、太ももの付け根にクローバーの小さなタトゥーがある。

俺が帰国する日に、その日を忘れないようにと新しいタトゥーを腕に入れに行ってくれたらしい。

Mom とは正反対の Dad 。真面目で勉強が大事というタイプと何事も挑戦、まずはやってごらんというタイプ。

どうしてこの2人が結婚したのか疑問である・・・。

そして Martin は特に変わり者。

最近の悩みは成長が止まって妹の Stephanie に身長を抜かれたことらしい。

首の後ろと腕に自分でデザインしたタトゥーがあり、トゲトゲの首輪や腕輪を身につけ、

アイシャドーや黒いマニキュア、そして性別を問わない奇抜な格好。時には女物のズボンやジャケットを着ていた。

そして、毎月髪の色を変えていた。虹のように青、赤、黒、緑・・・。そんな彼と Dad はあまり仲が良くなかった。

Martin の部屋は黒いカーテンが下がっていて、ろうそくの炎が揺れていた。

山のようなCDに、宝物のギター。ありとあらゆる物が所狭しと並んでいた。

日本に興味を持っていて、日本に来たこともある。そう、姉妹都市の宮城県角田市だ。

学校でライブコンテストをやって、見事金メダルをもらったほどギターと歌がうまい。

妹の Stephanie はピアノの腕がすごい。頭もよく、宿題などよく手伝ってもらった。

毎日毎日が楽しくて仕方なかった。時間が過ぎるのがとても早く感じた。

ああ、この家族と出会えてよかった。この家族の一員になれて幸せだなあ。そう思った。



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一躍有名人になった学校生活





2学期からこの Greenfield Central High School へ通うことになった。

初めはかなり不安だった。英語面に関しても・・・。

しかし、2戸隣の家の Mike(マイク)がたくさんの友達を紹介してくれた。

そのおかげでスムーズに学校生活に入れた。

とは言ったものの誰も俺のことを知らない。

留学生が来たことすら知らないのだ。

クラスに入ると「誰?見たことないよね」となってしまう。

こちらから積極的に話しかけたり、話しかけられたりの繰り返し。

そのおかげで徐々に友達の輪が広がっていった。

この学校で日本語のクラスを取った。

そのクラスには絵美という AY●SA の留学生がいた。

Mr.Bringerude(ブリンガルード先生)は日本人ではない。

だから俺達2人はお助け役という感じだった。

難しい漢字の読み方を教えたり、日本独特のものの説明をしたり。

たまに「熊本県の降水量はどれぐらいですか?」という質問も・・・。

自分で言うのもなんだがこの学校では驚くほど人気者になった。

留学生とは思えないほどの slung(スラング)の語彙力があったからだ。

普通に話してるつもりでも自然と slang を使っていたり、curse していたのだ。

それがみんなには「新しく来た留学生かなりハジケてるらしいぜ」とウケたらしい。

さらに去年卒業した Martin は知らないものはいないと言うほどの有名人。

「誰の家にステイしてるの?」と聞かれることが多かった。

「去年卒業した Martin って知ってる?彼の家だよ」と言うと、大抵の人は分かってくれる。

学校でライブをやったことでも有名だし、ホモだという噂でも有名だった。

自分の気に入った服は女物でも着るし、化粧だってしていた。

だから一部の人からホモだと呼ばれてしまうのだった。

しかし、当の本人はいつも決まってこう言う。

「周りの目を気にして、自分のやりたいことをやらないなんてバカだよ」

続けて「そんな心の狭いヤツら放っておけばいいのに」と全く気にしていなかった。

新しい学校は Blue Day と Gold Day が交互にくる。

Blue と Gold はスクールカラーだった。

1日にそれぞれ4科目、計8科目が毎日交互にやってくる。

俺は Blue Day は英語、保健、美術、生物の科目を、

Gold Day は体育、自習室、日本語、数学を取った。

Blue Day はついていくのに大変だったけど、Gold Day は活躍できる日だった。

1Mile走(約1600m)で6分をきればクラストップになれた。

日本語のクラスはもちろんOK。日本人の数学のレベルは基本的に高い。

アメリカではテストの時にノートや教科書、公式が書いてあるプリント、

さらには計算機などの使用が許可されることもある。

ただ問題だったのが美術のクラス。先生と全く気が合わなかった・・・。

しょっちゅうISS(In School Suspension)、つまり学校内停学になった。

学校に着いたら職員室または特定の教室へ行って、

1日中宿題や与えられた課題をやらなければならない。

俺が友達に話しかけられたのに怒られた時に口論になった。

「何で俺が怒られるんだよ?我慢できねぇ!」と言い返すと、

「じゃ、出て行け!」と一言。

指示に従って出て行ったら、少しして校内放送で呼ばれてまたもISS。

合計でISSを4回も美術のクラスから食らった。

その後、その先生から警告書が家に送られてきた。

が、 Mom は俺にこう言った。

「あの先生はホント嫌なヤツなのよ。変態っぽいし。いちいち気にすること無いわ!」

と怒るどころか放っておけという感じだった。

事実、クリスマスには女子生徒だけを家に招いてパーティーを開いているらしい。

それに男子生徒には厳しいくて、女子には優しい。

話は変わって、それはある日のことだった。

学校で退学者がでた。トイレでマリファナを吸ったのだった。

そのうち1人は日本語のクラスを取っていた Freshman(日本の中3に相当)の女の子。

マリファナはタバコより中毒性が無く、安全だといわれているが立派なドラッグである。

1人1人がしっかりと自覚しなくてはいけない。

15歳の女の子が簡単に手に入れることができるというのはとても怖いものである。

学校で得た1番大きなものは英語よりも友達だった。

Mike 以外に特に仲良くなったのは Adam(アダム) Kyle(カイル)

Bill(ビル) Tom(トム) Sean(ショーン)の5人。

Bill Tom の兄貴で、 Bill 以外はみんな15才。

初めて会ったときはそんなに仲良くなる気はしなかった。

でも、いつの間にか仲良くなってて、気がつくとほぼ毎日一緒に遊んでいた。

特に Adam はよく喧嘩もした。でもその分だけ、いやそれ以上に仲良くなれた気がする。

次に会いに来た時はお互いの家に泊まると約束もした。

一生付き合っていける友達がアメリカにできたのはとても嬉しかった。

アメリカと日本の学校の違いは、まず制服がない。

私服で学校に行くというのは楽チンでいい。

次にカフェテリア。自分で好きなものを選んで自分のプレートに取っていく。

もちろん自分でお弁当を持ってきてもいい。

アイスやお菓子なども学校内で売っていた。

セキュリティー対策もしっかりしている。

学校の入り口のドア付近には常に人がいて、外側からは開かない。

さらに生徒全員がパスワードを持っていて学校内にあるパソコンを使用できる。

日本とは大違いでビックリした。

さらに授業の進み具合が早ければ、空いた時間に体育館で遊んだり、

学校外に散歩に行ったりすることもたまにあった。

日本語のクラスの Mr.Bringerude はデザートをみんなに買ってくれた。

学校の時間内に食べるデザートは格別ウマかった。

楽しかった約5ヶ月の学校生活はアッという間に過ぎてしまった。

友達もたくさんできた。高校を卒業したら絶対みんなに会いに行くぞ!



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とうとう来てしまった別れの日





帰国まで10日。

日記にも書いてあるが、 Dad は5月の末にバハマへ行ってしまったので、帰国の日には会えない。

Martin は引っ越したので、 Mom と俺が家に残った。

毎日、着実に帰国の日が迫ってくるのに実感がわかなかった。

もちろん、日本にいるみんなに会いたいというのはあったが、ここを離れたくない。

Mom は「これでお別れになるわけじゃないのよ。あなたはここに戻ってこれるんだから」

そして「だからそんなに悲しまなくてもいいのよ。」と言ってくれた。

でも日本に帰ったら高校に行かなくてはいけない。

ここに戻ってくるのは、かなり先になるのは目に見えていた。

Mom の粋な計らいで、残りの1週間は Adam の家とウチを交代で泊まることになった。

Adam とたくさんの友達を呼んで、最後の1週間は遊びまくった。

ウチに泊まりに来た夜、大雨が降った。大粒の雨に凄まじい音の雷。

初めてあんな音の雷を聞いた。そしてついに停電になった。

俺は外に飛び出していた。思いっきり雨に打たれたかった。

大粒の雨に打たれてびしょ濡れになったのに本当に気持ちよかった。

しばらく雨に打たれていると腹に響く雷が鳴って、辺りが一瞬明るくなった。

数ヶ月前に家から100m程の所で、雷で大木が倒れ走行中の車を直撃したのを思い出した。

結局3人が死亡、1人が重傷の大惨事になってしまった。

助かったのは5、6歳の女の子のみ。家族3人は亡くなってしまった。

数年前にも隣の家の庭にある木に雷が直撃して、倒れてきた木が家を半壊させたと聞いていた。

さすがにヤバいかなぁと思って家の中に非難した。とは、言ったものの、大木が倒れてきたら元も子も無いが・・・。

楽しい時間はすぐに過ぎるもの。とうとう帰国前日になってしまった。

その日、 Mom がタトゥーショップに連れて行ってくれた。

昨晩は Adam の家に泊まっていたので一緒に来た。 Mike も後から合流した。

Mom が最後に欲しいものをプレゼントしてくれると言ってくれたので、タトゥーを選んだのだ。

ところが18歳未満だったために本当の保護者の承諾が無いと無理だと言われ、入れることができなかった・・・。

お互いを家族だと認識していても、形式上はホストファミリーと留学生。すごく悲しかった。

Mike はアメリカ空軍のシンボルのタトゥーを入れた。

なぜなら Mike はアメリカ空軍に入隊するのだ。それで空軍のシンボルのタトゥーを右肩に入れた。

誕生日はたった数ヶ月違いだったのに!俺もタトゥーほしかった・・・。

このまま帰るのは嫌だったので、舌ピアスに挑戦することに・・・。

前から少しは興味あった。耳のピアスは自分で開けられるけど、さすがに舌は・・・。

と、いう訳で決意したものの、いざイスに座って12Gの太い針を目の前にすると、結構緊張した。

初めにリステリンのようなもので口をゆすいで消毒、そして舌を引っ張られた。

そして次の瞬間、ずぶりと鈍い音がした。すでに舌を針が貫いていた。

数日間はカフェインを含むもの、刺激の強いものは控えなければならないらしい。

日本に帰ったら醤油が特に心配だ。

タトゥーショップを出たら、荷作りが終わってなかったので家に帰る予定だった。

ところが Adam に半強制的に友達の家に連れて行かれた。

荷造りがあるからウチに行こうと言ったのに頼むから来てくれと言われたのだ。

するとそこにはみんながいた。内緒でお別れパーティーの準備をしていてくれたのだった。

バーベキューしたり、キャンプファイアーを囲んだりプールに入ったり本当に本当に楽しかった。

ラストスパートと言わんばかりにはしゃいで、騒いで、遊びまくった。

部屋に入って色々つまみながら話しているとみんながプレゼントをくれた。

心から友達と言える友達を持って本当に幸せだった。

Greenfield Central High School に来て、たった5ヶ月ほどしか経っていない。

なのにお互い心を許して、色々相談し合ったり、笑ったり、時にはケンカも。

違う国でこんなにたくさんの友達ができたのは俺にとって一生涯の財産である。

ずっとここにいて、みんなと一緒に笑っていたい。もっと話していたい。

けれどもパーティーが終わりに近づくにつれて誰も喋らなくなった。

みんなに最後の別れをして家に帰った。明日になったら俺はここに居られないと思うと急に悲しくなった。

Greenfield に来てからは毎日が楽しくて駆け足で過ごしてきた気がする。

Mom は用事があって家を出た。

すぐに帰ってくると言っていたが、家に1人ぼっちになってしまった。

どんどん悲しくなっていった。仕方なく荷作りをすることに。

徹夜覚悟で始めた。スーツケースに詰める物は全て思い出深いものばかり。

手に取ると、その時の思い出が鮮明に思い出された。

他の人にはただの紙くずでも1つ1つにたくさんの思い出がある。

アメリカで始めて買い物をした時のレシート、友達と観に行った映画のチケット、みんなのメールアドレス・・・。

こみ上げてくるものをぐっと抑えながら荷物を詰めているうちに、その場で眠っていた。

明け方にふと目が覚めて焦った。荷作りが終わっていない・・・。

そっから大急ぎで荷作り再開。5時30分ごろになってようやく詰め終わった。

音楽を聴きながらパスポートを見ていると、ドアのベルが鳴った。

時計の針は6時を指していた。こんな時間に誰が来たのか?

そう思いながら1階へ行くと何やら話し声が聞こえる。

ドアを開けるとそこには Mike 達がいた。

Adam Tom 達も。みんなは Freshman(日本の中3に相当)なので運転ができない。

そこで Mike が朝早くからみんなを迎えに行っていたのだった。

普段は弱虫で、カッコつけの Mike なのに、泣かせてくれる・・・。

今からどっかに遊びに行こうぜ!いつもならそう言うのに・・・。。

でも、未だに帰国するという実感が全然無かった。

少しして Martin も新しい家から来てくれた。

とうとう出発の時間。荷物を車に乗せる。

俺は1時間後にはここにはいない。そんな気はまだしなかった。

Mom の車に Martin Adam 、そして俺が乗った。

Mike の車には Tom をはじめ、他のメンバーが乗った。車の中ではあまり話をしなかった。

残り時間はわずか。少なくとも俺には話したいことがたくさんあったのに・・・。

ラジオからは最新のヒット曲が流れていた。

空港に着いてしまった。スーツケースを列の最後尾に置いた。

「パスポートを見せてください」この一言で俺はもうすぐ出発なんだと実感した。

みんなは「これはお別れじゃない!」

「お前はここに戻ってくるんだからなっ!」

「お前が日本に行っても、いつも俺らの心の中にいることを忘れるなよ!」

「俺らだっていつもお前の心の中にいるからな!」
と、言ってくれた。

目の前にあるゲートを通過したら・・・そう考えると、その場から動けなくなってしまった。

覚悟は決めていたはずなのに・・・。みんなもうつむいていた。

みんなと抱擁を交わしていると Adam が手紙をくれた。

飛行機に乗るまでは絶対に開けるなと念を押された。

そして Adam は「日本でも GODSMACK(バンド)を流行らせろよ!」と、

大事にしていた GODSMACK のシャツをくれた。

俺ら2人の好きなバンド。そして Adam は涙をこぼした。

俺も涙は流さないと決心していたのに我慢するので精一杯だった。

最後に Mom と抱擁を交わした。

「あなたの部屋は、あのまま残しておくから、早く帰ってきなさいよ」声が震えていた。

ゲートを越える時、振り向き手を振った。そして、もう振り向かないと決めて先へと進んだ。

そこには、目を赤くした絵美とその友達がいた。

大した話もせずに、時間通りに飛行機へと乗り込んだ。

そして、Indiana の町並みはどんどん小さくなっていった。



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