<成り立ち> アメリカ合衆国で19番目の州(1816年12月11日) <州名の由来> ラテン語で「インディアンの地」の意味。1800年に合衆国議会がオハイオ州を、北西領土から独立させた際、 残る領土を「インディアナ領」と呼んだことに由来。 <愛称> Hoosier(フージャー:生真面目な働き者、無骨者)語源には30以上の説がある。 開拓時代にドアのノックに対し「Who's yere?」と応えた習慣から。 LouisvilleのPortland Canal を建設する際に、Samuel Hoosier という人足頭の元に労働者が集まったことから。 などなど・・・。 <標語> The Crossroads of America(アメリカの十字路) 1937年〜 理由は当時、最も人口が多かったかららしい。水陸空の交通網が整備されている。 東部の人々はセントルイスや西部を、南部の人々は北部のシカゴやミシガンを目指した。 実際、開拓者が旅した「Old National Road」はインディアナ州を横断している。 ↑現在の U.S.40(Greenfield の家から100mのところ!) この標語は、ナンバープレートにも入っている。 全米最大手の運送会社の5社が、ここに本社を置くほどである。全ての道はインディアナに通じる。 <州都> 州都は Indianapolis(インディアナポリス)で、あの有名なインディ500の開催地である。 この世界最大のカーレースはアメリカ3大イベントの1つ。 5月になると世界中からファンが押し寄せてくる。 <交通> ・ハイウェイ インディアナ州には、最も多い7本の州際ハイウェイがある(1137マイル=1825km)。 うち、5本が東西、2本が南北に走っていて、太平洋〜大西洋、さらには、カナダ〜メキシコ湾まで結んでいる。 ワシントンD.C.をモデルにした、4本のハイウェイが、インディアナポリスから放射状に延び、 2日〜3日で国内のどんな目的地でも到着することができる。 全米の人口の65%が625マイル(約1000km=車で1日)以内に住んでいる。 ・空港 航空輸送で全米7位。680もの空港施設があり、そのうち最大のものは、インディアナポリス国際空港。 1日旅客機200便、貨物専用機50便が離発着している。 ・鉄道 アメリカで最も鉄道が集中している。 五大湖及びオハイオ州の港、ミシシッピ川や東海岸の深喫水の港にも接続している。 ・長距離バス シカゴ、シンシナティ、セントルイスへ向かうなら、飛行機より安く速い。(24時間営業) ・国際湾岸施設 インディアナの3つの湾岸施設が世界市場に直結している。 全米人口の40%以上が在住する22州を結ぶ「米国内水路システム」に一年中アクセスできる。 <州民性> 勤勉で堅実。愛称が示すとおり素朴・・・・なはずだが、俺はそうは思わん!人間中身はほぼ同じ! <人口> 5,942,901人←毎日変わってるけどね・・・。(全米14位) 州都インディアナポリス・・・810,946人 人口密度は 59人/1平方キロメートル <面積> 94,328平方km(全米38位、南北440km、東西230km)これは、日本の約1/4強。 都市と農村の人口比は、64%:36%。 <産業> 自動車製造、鉄鋼業などの工業、大豆、トウモロコシなどの農業のバランスがとれている。 インディアナポリスの再開発の目玉は鉄道ターミナル。 シカゴ、ゲイリーなどの町からの輸送の中継地点だった、ユニオン・ステーションは、車社会に変わってしまった。 今は、すっかり陰が薄くなり、町の景観を損ねるただの古い駅という存在だった。 1980年代、ちょうど再開発に燃えていたインディアナポリスではこの駅に目をつけた。 市民の集まる場所にしようという大計画を進めることにした。 古い駅舎と最新のショッピング・センターというミスマッチは大成功。 現在ではサンフランシスコのチョコレート工場跡にできたギラデリ・スクエアと肩を並べるほど。 再開発によって生まれ変わったショッピング・センターとして全米に名前を知られる存在になったのだ。 <気候> 湿潤性大陸気候に属し、明確な四季はあるものの、春と秋は短く、寒暖の差がとても大きい。 天気も変わりやすく、とても過ごしにくい。(最高−25度〜40度近くまで約65度の差がある。) <時間> インディアナ州は二つの時間帯に属す。 北西部と南西部の11郡は中央標準時に、それ以外の81郡は東部標準時に属している。 日本とはそれぞれ15時間・14時間の時差がある。(日本が正午ならば、インディアナ州の大半は夜の10時) なお、夏時間は、ほとんどの地域で採用されていない。 <補足> 州都のインディアナポリスは働きたい・住みたい都市全米第2位。 インディアナポリスは全米で人口50万人以上の都市中6番目に犯罪発生率が低い。 Amish(アーミッシュ)の村がある。 アーミッシュとは電気・ガスなどを一切使わず、食料は自給自足の人々。 さらに移動は馬車、言葉は古いドイツ語と英語の混ざった言葉を話す。 ←戻る |
インディアナ州で1番有名な都市はもちろんここ州都インディアナポリス。 州の中央に位置するために選ばれたこの都市では、アメリカ3大イベントの1つが開催される。 アメリカ3大イベントとは Super Bowl と Kentucky Derby と Indy 500 のことである。 Super Bowl は、1967年に始まった米国プロフットボールの王座決定戦で、 Kentucky Derby はケンタッキー州で行われる競馬、 そして Indy 500 がここ Indianapolis で行われるカーレースのことである。 毎年5月のメモリアルデーの頃にインディアナポリスモータースピードウェイで開催される。 街中が黒と白の旗で飾られ、様々な関連イベントが開催される。 世界最大・最速のために、世界中からファンが押し寄せ大混雑してしまう。 1年前からホテルの予約を取らないといけないぐらいらしい。 運良く Indy 500 に行くことができたが、目の前を走り抜ける車を目で追えないほど早い。 さらに Indianapolis はアメリカの中央に位置するために、水・陸・空のどれをとっても大切な交通の拠点である。 犯罪発生率も低く、アメリカ人の住みたい都市ランキングにその名を連ねる。 詳しくはインディアナについてへ。 ←戻る |
新しいホストファミリーの家に着いた時には、雪が深々と降っていた。 今度のホストファミリーは感じのよさそうな人で安心した。 そこには、Ukraine(ウクライナ)からの Maria(マリア)という留学生がいた。 落ち着いた感じで年上に見えたけど、1つしたの高1らしい。 着いた時刻はすでに10時を過ぎていたので寝る支度をしようと、スーツケースを抱えた。 ホストマザーはスポーツバッグを抱えて2階へ上がっていった。色々な説明を聞きながら俺もあがっていった。 だが、2階には部屋が2つしかなかった。1つは Maria の部屋、もう1つはホストブラザー Mike(マイク)の部屋。 じゃ、俺の部屋はどこ?ホストマザーはゆっくりとカバンを下ろした。そして一言。 「ごめんなさいね、余分な部屋がないの。だから、ここで我慢して」 そこは、ちょっとスペースのあるところだった。小さなソファにオルガン、本棚などが置いてあった。 しかも、壁はないから1階からも丸見え。なんだか落ち着かない場所だった。 ベッドもないので仕方なくソファで寝ることになった。 つまり2階にあるロフトのような場所である。そこが俺の「部屋」になった。 次の朝、犬に顔をなめられて目が覚めた。この家には犬が1匹に猫が2匹いるようだ。 それにしても、なんとも中途半端なときに来たものである。 俺は当初、ちゃんとしたホストファミリーのところへ行くはずだった。 ところが直前にホストファザーが失職、俺は行く場所を失ってしまった。 だったらなおさらクリスマスは San Diego で過ごさせてくれればよかったものを・・・。 Eli●abeth(仮名)に途中で電話を切られ、予定を無理矢理変えられて、 高い方の航空券を買わされ、カリフォルニアを発つはめになってしまった。 もう諦めるしかないが・・・。 さて、このホストマザーとファザーは AY●SA の CR だった。 次のホストファミリーが見つかるまでの一時的なホストファミリーである。 ホストファミリーを3回も変える事になるとは全くもって想像していなかった。 だが次のホストファミリーはまだ決まっていないので、しばらくはここにステイすることになった。 ホストファミリーの息子の1人が日本人と結婚したらしく、今は中国で仕事をしているらしい。 電話で話す機会があったのだが、日本人とまったく変わらない発音でびっくりした。 その電話があってから、俺はもっと英語を綺麗に発音できるようになりたいと思うようになった。 今までは、あまり気にも留めていなかったが、日本語には L と R、B と V、Z 等の発音がないため、発音が難しい。 個人的な失敗では、blah blah blah...(会話において不必要な部分に使う。日本語の「ああだこうだ」)。 みんなには bra bra bra と聞こえたらしい。bra とは下着のブラジャーのこと。みんなに大笑いされた経験がある。 俺は彼と話さなければ、発音のことなどあまり気にかけることはなかっただろう。 今回の電話はもっと正確に発音する必要があった俺に対するホストマザーからのメッセージだと勝手に解釈した。 今朝、 Maria はホストマザーと買い物に、ホストファザーは仕事に、ホストブラザーは遊びに行ってしまった。 仕方なく家の前のゴールでバスケをすることに。外に出ようと、車庫を開けるとそこには大きなバイクが2台。 ハーレーダビッドソンだった。見た感じバイクには乗らなさそうな人のにすごいバイクを持っていた。 数日後、乗せてもらったけど物凄い迫力だった。 さて、バスケをしようにも外は雪。こんな雪の中バスケをする変わり者なんてどこにもいない。しかも半袖で。 外はすでに−10度に達していた。S.D. では、半袖でも暑かったので長袖なんて持っていなかった。 今日はクリスマスイヴ。まだ友達もいないし、結構気が重たかった。クリスマスイヴも何事もなく過ぎていった。 今日はクリスマス当日である。朝起きると枕元(ソファだが・・・)に一つの箱が置いてあった。 クリスマスプレゼントである。 開けてみると、 INDIANA UNIVERSITY のロゴが入ったトレーナーが入っていた。 ちょうどなくて困っていた長袖は俺にはうってつけのプレゼントだった。 ホストマザーは「サンタクロースがわざわざ届けてくれたのね!」とウィンクをした。 アメリカっぽいなぁと思いつつ、ありがたくちょうだいした。 それにしても、今日は朝から大忙し!ホストファザーもマザーも料理に買い物に走り回っていた。 今日はパーティーがあるらしい。でも、俺と Maria は何もすることが無く一緒にお手伝いをしていた。 さて、準備も一通り終わた。が、一息つく暇も無くドアのベルが鳴った。 Jim(ジム)と Phyllis(フィリス)、 Mark(マーク)と Kathy(キャシー)だった。 もちろんこの時は知らなかったが、これが今後の生活を変える重要な出会いとなるとは誰も思わなかった。 真面目な感じの Jim に対し正反対の Phyllis 、ジョークの大好きな Mark と Kathy 。 パーティーは大いに盛り上がった。途中、 Jim と Phyllis の子供の Martin(マーティン)が来た。 青い髪に、黒のマニキュア、トゲトゲの腕輪、極めつけは、首の後ろのタトゥー。 俺はもちろん初対面だったけど、パーティーはとっても楽しかった。 特に Phyllis とは話が合い、夜遅くまで盛り上がった。 さっきも言ったが、この時のこの会話がきっかけとなって、今後の俺の留学生活が大きく変化することになる。 異性とのダブルプレイスメント(他の留学生と同じ家にホームステイすること)で少し緊張気味だったが、 留学生活のラストスパートにつながる生活がここ Indianapolis で始まった。 ←戻る |
S.D. の時と同じく期限付きのホストファミリー。 と、言うのもホストチェンジする直前にホストファザーが失職。 仕方なくステイ先の CR の家に泊まることになった。 それならなぜ San Diego でクリスマスを過ごさせてくれなかったのかさらに疑問が残る。 AY●SA はわざと俺に嫌がらせをしているように思えた。 エリ●ベスが話している途中に電話を切ったのもそのためか? さて、いくら愚痴ってもムダなので話を戻そう。 スーツケースは開けなくて済むように、必要な荷物は全部スポーツバッグに詰めておいた。 クリスマスパーティーから数日が経ったある日のこと。 その日もまた雪の日だった。ホストマザーに呼ばれて台所へ行くと書類を渡された。 新しいホストファミリーについてだった。新しいホストファミリーの名前は・・・ Ficorilli なんて読むんだ? 答えは「フィコラィリィ」である。 イタリア系の名前でアメリカ人にも発音しにくいらしい。 とにかく決まってよかった。しかも、ここから結構近いらしい。 でも、ホストマザーの話を聞いていると、どうも知っている人らしい。 よくよく聞いてみると新しいホストファミリーは Jim と Phillis だということが分かった。 マジで嬉しかった。 ようやく俺にもツキがまわってきた。 2人はもともと AY●SA の CR をやっていて、去年も1人留学生を受け入れていたらしい。 ところがその女は最悪だったからもうホストファミリーはやらないと決めていたらしい。 でも、クリスマスパーティーで意気投合して今回の決断に至ったとか。 これこそ本当のクリスマスプレゼントのような気がした。 当日の朝、準備を済ませ2人の到着を待った。予定時間よりチョット早く来た。 荷物を車に乗せ、いざ出発進行! 唯一今までと違っていた点は、あまり緊張していなかった。 前に1度会っているし、車ですぐの所だからだろう。 車に15分ほど揺られ、Greenfield という隣町に来た。 州都 Indianapolis の隣町なのに、結構田舎だった。 限りなく続くとうもろこし畑に、ポツポツと家が建っている。 U.S.40 を右折して3分ほどのところに家はあった。とても大きな家だった。 2階建てで車庫に車を入れると犬がお迎えに来た。2頭のラブラドールレトリバーに、2頭のダックスフンド。 ドアを開けると Stephanie(ステファニー)という女の子がいた。 年上だと思ったら2歳も年下だった。 と、言うことは Martin の妹ということになる。 俺はてっきり Stephanie の方が年上だと思った。 でもすごく仲良くしてくれて少し安心した。何もかもが最高だった。 ここなら楽しく過ごせる!そう確信した。 俺はここで最高の留学生活を送ることができた。 ←戻る |
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